ありがとう。Nos Vemos
だいぶご無沙汰してしまいました。
ついに出ましたね、三日坊主。
でも割と続いていたと思うのと、復帰した自分に拍手したい気持ちはあります。。
書こう書こうと思っていた1月の出来事の記事です。
素敵なタイムラグ記事にお付き合いください。
ペルーの壮大さを知ったワラスの年明け旅行から帰ってからすぐに個人的に大きなイベントがありました。
それは先輩隊員の帰国。2年の任期を終え、飛行機で日本へ発ちました。
青年海外協力隊はそれぞれに2年間という派遣期間があります。
また派遣されるのは年に4回分けられています。
例えば自分は2017年度1次隊なので、ペルーへ赴任したのは2017年の7月です。そのあとの2017年度2次隊の隊員たちは2017年の10月に赴任しています。
今回帰国したのは2年前の1月に来た先輩隊員たち。
隊員が派遣されるのが年に4回なので、同じように隊員の帰国も年に4回あります。
が、今回の帰国は自分にとってはちょっと特別でした。
ペルーは日本の4倍の国土を持っているので、なかなか他の隊員と会うことは無いのですが、幸運なことにイカには自分の他にもう一人隊員がいました。
この先輩隊員もこのタイミングで2年の任期を終え帰国です。
ペルーでは基本的に隊員はホームステイという形で、ペルーの人々の家庭に入り生活をします。
自分の場合、このホームステイ先がなかなか見つからず、先輩隊員がすでに入っているホームステイ先に入ることになりました。
なのでここまでの半年間、同じ任地でかつ同じ家に住んでいたんです。
(活動の時間が全然違うので同じ家に住んでいるのに週末しか会わないみたいな日々もありましたが)
任地に到着し右も左も分からない状況の中、イカの街や人々、活動のことなどかなり助けてもらいました。
ちなみに先輩隊員の職種は卓球だったので、たまに活動場所に行き練習の風景を見学させてもらうことも。
週末には遊びに行くこともあり、イカに来た当初の緊張状態・ストレス状態にはとても良いリフレッシュになりました。
何より卓球の教え子たちもよく一緒に遊びに行っていたので、来てすぐに友人を作ることができました。
という感じで、かなりお世話になったのですがそんな先輩隊員も帰国。
このイカにはJICAボランティアは自分一人という状況になります。
イカを離れる日には、教え子たちとバスターミナルまで見送りました。
教え子たちもかなり寂しがっていました。
こういう別れの瞬間ってその人がどんな人だったか、どう思われていたかがすごく分かるなと思います。
先輩隊員は間違いなくイカの人々に愛されていたし、すごく良いコーチとして教え子達やイカの卓球に関わっていたんだなと感じました。
自分も一年半後には帰国になります。
その時、どんな気持ちでどういう別れをするのか。先輩隊員のように任地をあとにできればなと。
寂しいですが、またきっと日本やペルーで会うことができるでしょう!
今回帰国した先輩隊員方、2年間お疲れ様でした!